武田信玄とビジネスモデル

武田信玄の2つの武器と取組からビジネスを学ぶ。ポイントは配慮とイメージ戦略!?

武田信玄とビジネスモデル

本日は、かの有名な武将「武田信玄」から、その生き様や手腕を通して、ビジネスに活かせる内容がわかったのでお話ししたいと思います。

簡潔に言えば弱みを強みに変える発想といえるでしょうか。

特に上に立つ立場(リーダーシップを取らなくてはならない人)には大事だといえます。

 

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武田信玄からビジネスを学ぶ

6年前の雑誌の記事にあったのですが、そこには

武田信玄から学ぶビジネスの掟

なる内容が書いてありました。

 

その雑誌のほかの記事はこちら

参考

6年前のメンタルトレーニングに効果はあるのか?試してみてください。

 

武田信玄については、名前は聞いたことあるし、大河やゲームなどでイメージもありましたが、ビジネスにつながるイメージが全くありませんでした

プロフィールイラスト
(アニメ・ゲームの影響が大きいですが)武田信玄の性格は、熱血漢・武骨といったイメージです。

 

ヤル気!根気!元気! みたいに、松岡修三的なポジティブ内容かな? と思っていたら、全然違いました。

まずは、簡単に武田信玄について調べましたので、ご覧ください。

 

武田信玄ってどんな武将?

武田信玄とは
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甲斐国(かいのくに)の戦国武将です。

甲斐国とは、現在の山梨県にあたる場所。

 

有名な風林火山の旗を掲げ、騎馬隊戦法で最強と恐れられていた戦国武将の一人です。

風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である

参照 ウィキペディア

 

好きな武将ランキングなんかでも頻出する戦国武将の1人で、好きな方も多いのでは無いでしょうか?
武田信玄の生い立ち

私は歴史に少し疎いのですが、それでも彼のことは知っています。

 

年代としては、信長よりも前の時代になります。

プロフィールイラスト
戦国時代が始まった、まさに始まろうとしている時代に活躍しています。

 

皆から恐れらていた武田信玄、彼のどこがビジネスに活かせそうなのでしょうか。

 

武田信玄の性格や生い立ちについて

武田信玄はよく、戦国最強武将の1人としてその名前が上がります。

私も戦国最強武将の1人と思っていましたが、史実は少々違うようです。

 

武田信玄は、文武の成績は良くなく、武田信玄の父、信虎から見れば軟弱で不甲斐ない息子だと半ば見捨てられていました。

武田信玄には4つ下の弟がいて、名前は信繁。

 

信繁は非常に優秀で、文武共に長けており、人望もあつかった人物です。

弟が優秀なパターンですね。

 

そんな境遇の武田信玄は、当然(必然?)、自暴自棄になり

今で言うところの合コンばかりを繰り返していました

 

そんな状況を見かねた、父信虎は、「自分の跡取りは、信玄の弟である信繁しかいない!」と、武田家の後を継がせるのは、信繁だと決意をしています。

 

父信虎は、当時、20以上の豪族を取りまとめていました。

いわば、一国の主人というよりは、盟主のような存在でした。

父信虎は、戦をすれば強かったのですが、決して配下の面倒見が良かったとはいえず、戦に勝っても戦利品を十分に分け与えなかったりして、徐々に配下の不満が、積もっていきます。

 

ビジネスで言うところのビジネスセンスはあるけど、ワンマン経営の会社社長と言ったところでしょうか。
ワンマン経営の象徴

程なくして、配下の不満が爆発することとなり、父信虎は、配下の豪族たちによって、国外に追放されてしまいます。

 

この追放劇の首謀者は信玄であったように描かれることが多いのですが、どちらかと言うと、能力も低く道楽息子であった信玄が自ら画策し首謀者となっていると見る方が妥当なようですね。

父信虎を追放するほどの器量も度量も持ち合わせていないと考えられるし。

 

よって、この追放劇については

配下の豪族たちによって、弱いバカ殿扱いされ、単に担がれたに過ぎない

と言う方が正しいようです。

 

ともかく。

こうして、信玄は父信虎に取って代わる存在となるわけです。

 

しかし、信玄は考えた

しかし、信玄はバカ殿扱いをされても、馬鹿ではありませんでした。

信玄自身も、自分が単に担がれただけのお飾りであることは認識していたため

自分自身で自分の地位を確立するため

に、様々な考えや行動をとることになります。

 

有名な取り組みとしては2つ

彼の功績はいくつもありますが
配下の信頼を勝ち得た大きな政策としては2つです。

甲斐国は、昔から河川の氾濫が多く

  • 安定的な収入
  • 安定的な暮らし

の定着が難しく、悩みのタネでした。

これではいかん!

と、信玄は、河川の氾濫を止めるべく、いわゆる灌漑工事により堤防(通称、信玄堤)をつくり、約20年もの月日がかかりましたが、完成させます。

これにより、税収も安定し、配下を含め甲斐国の生活や暮らしに安定をもたらします

 

また、統治する上では、今の世の中同様、ルールが必要になってきます。

当時は戦国時代の走り。

強いものが絶対の時代。

要は、上に立つものは絶対である!と言う考えが当然の時代です。

 

そんな時代にもかかわらず、信玄は、もともと文武に長けていなかったという、どこか

負い目や引け目

のような感情もあったかもしれませんが、信玄が策定した

甲州法度之次第

で、法律(刑法民法)を定めますが、この法律は、なんと

自分(当主である武田信玄)も守るもの

と記し、決して上から目線で命令をすることなく、ある意味、配下に寄り添うような形で策定しました。

 

とりあえずのビジネスで活かせそうなまとめ

武田信玄は

  • 信玄堤
  • 甲州法度之次第

から

  • 家臣に気を使う、謙虚な姿勢
  • 下が働きやすい環境を整えることを最優先

したと読み取ることができます。

 

この考えは、特に上に立つ立場(リーダーシップを取らなくてはならない人)には大事だといえます。

  • 下に媚びへつらうのではなく、ましてや上から目線になることなく一方的に指示のみをする訳でもない。
  • 部下にのびのびと働かせるためには何が必要か?を考え、環境を最優先で改善すること

さらに

  • 自分を棚に上げず、ともに努力する姿を見せること

これにより、部下(配下)は、信頼してくれるようになります

 

しかし、信玄は戦が苦手。

とはいえ、時代は戦国時代。戦が強くてなんぼの時代です。

どんなに庶民の心を掴もうが、配下の心を掴もうが、弱ければ、誰も慕いません

優しいだけではいつの時代もダメなのです。

 

しかし、冒頭話したように、武田信玄は武芸に長けた人物ではありません。

そこで、彼は人生の勝負に2つの武器を持ち入ります。

 

信玄の2つの武器、それは「情報操作」と「イメージ戦略」

武田信玄は決して戦に強かったわけではありません。

しかし、実際は戦国最強とさえ謳われ、有名な【武田騎馬隊】は出現しただけで、相手の士気が下がり、恐れをなして逃げていく…とさえ言われるほどです。

 

そんな武田信玄が実は戦が苦手というのはにわかには信じられませんよね?

実はここに、信玄が武器として用いた、ある2つの戦術があったのです。

 

武田信玄の武器、その1「情報戦を制す」

武田信玄は、戦が始まる、または戦の事前

徹底的に相手側の情報を集める

ことをします。

 

そして、冷静に自分の戦力と相手の能力を分析して、相手が有能だと分かれば裏切りを持ちかけます

ようは、戦わずして勝つ方法を探るのです。

 

卑怯なように思うかもしれません。体育会系の方からすると

正々堂々と勝負しろよい!

と言いたげでしょうが、これも立派な戦術です。

 

今の世の中に置き換えれば…

ヘッドハンティング、買収、吸収合併、子会社化…

などなど。

 

ぶつかり合ってしまって、こちらが損失・人材や資金の流出をしながら、試行錯誤を繰り返して、成長していく(大きくなっていく)よりも

男性シルエット
武田信玄
良いものなら、裏で根回しをして手に入れたほうが効率よくね?

ってことです。

 

この無駄のない感じが、ビジネスでは有効です。

 

青田買いに近いイメージもあるかもしれませんが、違います。

男性シルエット
青田買いってなんだっけ?

 

青田買いとは?
収穫量を見越して、稲がまだ青いうち(収穫する時期よりももっと前)に田を購入すること。最近では、比喩表現として、企業側の学生確保(早期契約)にも使われる

 

裏切り工作が断られたとしても、信玄はタダでは転ばない

もちろん、信玄にそそのかされたとしても、そうそう簡単に裏切る武将ばかりではありません。

大義、恩義が今よりも濃い時代ですからね。

 

信玄は、この辺りも含み損として、きちんとリスクマネジメント、いわば次の一手を用意しています。

ずばり、単純明快で、仮に断られたとしても

奴は寝返ったとデマを流す

のです。

 

今の時代みたいに、テレビやインターネットなど、情報の

  • 伝わるスピード
  • 正確性

は、多く(または高く)ありません。

 

参考

 

だからこそ、一つの情報に価値があります。

これは、仮に嘘だったとしてもです。

 

この嘘による(デマによる)情報が、敵に混乱をもたらせ、統率を失った敵たちが弱体していくことは必至です。

少なくとも、一丸となって迫って来ないので、ほころびがあちこちに出てきます。

 

これをうまく突いて、戦を進めていきました。

このようにして、武田信玄はたとえ戦の力が強くなくても、戦を優位に進める方法を獲得していたのです。

 

武器その2、イメージ戦略

情報戦により弱体化した相手。

普通に戦っても勝てる相手とまで成り下がったとします。

しかし、武田信玄は普通には戦を運びません。

 

弱っている敵を迅速かつ徹底的に叩き潰します。

 

そう、武田騎馬隊です。

 

従来、馬というのは足を切られやすく、そのため戦では不向きとされてきました。

しかし、その馬での戦い=騎馬戦を、最終局面で登場させます。

 

戦で騎馬隊を使うメリットは、なんといってもその機動力にあります。

スピードが圧倒的に違うのです。

 

武田信玄は、この騎馬隊を使って

  • 広範囲に
  • 的確に
  • 迅速に

相手を追い詰め、より確実に戦を勝利へと導いていきます

 

そのうち、イメージが広く定着し、武田騎馬隊は

登場するだけで、相手が恐れをなすほどのブランド力に発展

していきます。

 

とりあえず、ビジネスに活かせそうな内容まとめ、その2

武田信玄は

  • 情報を徹底的に集め、有用なものを効率よく手中に収める
  • 情報をコントロール
  • 自らの強みを理解し、ブランド化していく

といった内容で、その名を確固たるものにしていきました。

 

今でいうところのブランディングが体現できていたということです。

これは、ビジネスにも転用できそうです。

 

武田信玄とビジネスモデルのまとめ

そうやって、武田信玄は戦での実績や甲斐国での取り組みを通して、カリスマ性を持ち始めて行きます。

しかし、これからだ、という矢先に病に倒れてしまいます。享年52歳。

 

人生50年と言われていた時代なので、平均寿命は生きたことになりますね。

武田信玄が行ったことを、ビジネスに活かせそうな内容を大きく2つの視点(内と外)からアプローチします。

 

内側(職場)の姿勢

職場内のルール作り(甲州法度之次第)

  • 部下(配下)への配慮を忘れない
  • 共に頑張る姿勢を見せる

職場内の環境づくり(信玄堤)

  • 働きやすい環境を整える
  • 安定をもたらす、効率を重視する取組
  • 何年かけてでも、実現させるその行動力

 

外側(顧客やライバル)への姿勢

情報への価値を見出す(謀反を促す行為)

  • 情報集めの徹底
  • 有用なものを見極める判断
  • 必要なもの、有用なものはどんどん手中に収めていく
  • 情報を巧みに操作する

ブランド力を定着させる(武田騎馬隊)

  • 自分の武器(強み)を知る
  • 自分の武器(強み)の使いどころを見極める
  • 迅速かつ徹底的に行う
  • 繰り返すことによって、自然とブランド力が定着していく

 

最後に

武田信玄の手腕は、後の天下人である家康が見習ったほどとさえ言われています。

簡潔に言えば弱みを強みに変える発想といえるでしょうか。

 

大事なことですよね。ビジネスに限らず、生きていくうえで。

弱みしかなくても、それが強みに変えられれば自分の武器となりますからね。

 

最後に信玄にまつわる有名な言葉の一つに

人は城

というものがあります。

 

武田信玄は城は作らず、最後まで館に住んでいました。

単に、配下に担がれてのし上がったので、配下の者たちに城を作れ!と命令出来なかった

だけのようにも思いますが、これもイメージ戦略で

  • 人(部下)を大事にする
  • 人(部下)を信頼する

というプラスのイメージになっていますよね。

 

恐るべし、武田信玄・・・。

人を惹きつけるその魅力はぜひ勉強したいものです。

 

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